車中泊事始め【野宿編】

文字通りの野宿が出発点

思春期の頃、なにより欲しいと思ったのは自由だった。自転車という乗り物と野宿の技術。その二つで、どこへでも好きなところに行ける。そうとう自由になれる気がした。

16歳の夏、毛布を二つ折りにしたものを、自転車カバーで手作りしたシュラフカバーに入れ、野宿を始めた。

軒を探すという知恵さえなかったので、空き地にシュラフカバーを広げて眠るだけの、文字通りの野宿だった。

どこでも眠ることができるという自由さが、快適さや清潔さなどよりはるかに大切だと確信していた幸せな年頃だった。

軒下野宿 学校編

何度か夜中に雨に降られる経験をした後、軒を探す術を身につけた。

優良な軒は、地方や時代によって変わる。1980年代の中部地方では、学校の軒をよく使わせてもらった。

中部地方では、校舎と校舎の間に、たいてい渡り廊下のような構造があり、そんなところは格好の寝場所だった。当時の学校は都会の私学でもない限り、昼夜を通して出入り自由だった。水道はもちろん、トイレもたいてい使えた。

住み込みの管理人が、保健室のベッドを使わせてくれたことも一度や二度ではない。部活の合宿中のご飯をごちそうになったこともある。

軒下野宿 バス停編

北海道や東北北部では、学校に泊まれるところが少ない。寒冷地だということだろうか、上記のような寝場所に適した軒がないのである。

代わりに多いのは、バス停小屋や無人駅だ。むろん、いずれも乗客のためにある建造物であるが、その頃の社会には、貧乏な旅人を受け入れてくれる雰囲気があった。ほかの乗客の迷惑にならぬよう、配慮しながらそんな場所を使わせていただく知恵を学ぶ場でもあった。

根室の中心部にある大型のバス停小屋では、盛夏になると、毎夜十数人の旅人が自然発生的に集まり寝泊まりするところがあった。

道南の八雲には、10年以上にわたって、ここに泊まった旅人が書き残したメッセージが累々と壁に残されていた。

自然に車中泊へ

そんなふうにして旅を始めた自分にとって、クルマという箱に入って移動するなら、そこを寝場所にするのは、いわば当然のなりゆきだった。

最初に手に入れたのは、スバルのサンバーという軽自動車。最初の車中泊をいつどこでしたか、思いだすこともできないほど、自然に車中泊を始めた。(つづく)

1件のコメント

  1. 中島律子 より:

    オオカミや虎に変身してしまわなくてよかったです。こうして、文字や画像で、心惹かれる世界を紹介してもらえてるのは、幸いでした。

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