尾瀬の谷川洋一氏

どうやって知り合ったのかもはっきり覚えてないが、NHKスペシャルで、長蔵小屋での越冬のようすが番組になった時には、すでに知り合いだった。

その後、あるいはその時すでに話はできていたのか、彼の写真は、当時すご腕として知られた小学館の編集者の目に留まり、写真集になった。発刊記念のギャラリートークでは、印刷が間に合わず、その編集者が詫びた場面も思い出せる。

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尾瀬に行くたびに、よく、ばったり出会った。沼尻の休憩所の番をしていたこともあったが、たいていは、彼も非番で三脚をかついで原の木道を歩いていた。沼尻の休憩所へは、長蔵小屋からボートで出勤すると得意げだった。

大霜の降りた朝、あらかじめ見定めておいたヨッピ橋近くのポイントで、夜明け前に三脚を構えていると、あとから彼が現れたこともある。特に有名なポイントというわけではなく、彼と私以外だれもいない場所だった。

訃報を聞いたのは、10年近く前、尾瀬にゆかりの深い弟からだった。弟も葬儀に行ったりしたわけでなく、人づてに聞いたという。今も半信半疑のまま久しぶりに尾瀬沼に来た。

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彼が小屋番をしていたこともある沼尻の休憩所は、数年前の火災で焼失し、すっかりきれいに建て替わっていた。話し好きの小屋番は、年齢こそ私や谷川さんよりだいぶ上だが、定年後にこの仕事についてまだ日が浅いという。当然、港のヨーコヨコハマヨコスカ状態だ。

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長蔵小屋でカレーライスを注文し、やはり年配の小屋番に尋ねてみると、そのバンダナの老紳士もやはりやっと5年目だという。休憩所の紅茶に400円、カレーライスに800円払ってもまだ彼に辿り着けぬ。

「古い人ならしっているかもしれません。」

呼ばれてわざわざ出てきてくれたのは、我々より少し若いと思しき小屋番。

「その少し前にすでにここをやめていたんです。我々も病気のことはなにもしらなくて、皆驚きました。」

訃報を聞いて10年近く、なんとなく半信半疑だった彼の死だが、この長蔵小屋に来て、彼がいないことを知り、やっと私のなかで現実のこととなった。

何万年もかけて、沼が湿原に、湿原が森林に遷移するこの尾瀬の大自然。彼も私も、その表層を、風のように通りすぎる一介の存在であるということに、その時初めて気づいたような気がした。

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3件のコメント

  1. けんじ より:

    谷川さんが亡くなられていたこと、今初めて知りました。
    写真集「湿原の宇宙」のあと、ずっと気になる写真家さんでした。
    ショックです。

  2. 鈴木 玲子 より:

    尾瀬の谷川氏の出会いと訃報を確認して、また尾瀬の大自然にも思いを馳せられ述べていらっしゃる無常観(そう読ませて頂きましたが)。なんだか胸のなかがしんとしてきますね。
    大自然からでも、人間からでも、感銘を受ける事ができるとしたら、それは非凡な人も平凡な人も皆同じで、感銘を与えられる存在というのは、稀有な存在でしょう。非凡という表現がふさわしいかどうかわかりませんが、大自然の前にはその非凡な存在が、一介の通り過ぎる風のような存在だとしても、感銘を受けた人の心の中には残りつづけることと思います。
    尾瀬惜秋、そんな感銘の受けられる頃、尾瀬を訪ねてみたいです。

  3. 鈴木 玲子 より:

    昨年12/15にわたしか書いたコメントで使ったー尾瀬惜秋ーという言葉はいがり先生のポストカードシリーズvol.7のタイトルです。
    先生は写真や音楽のみならず、言葉の魔術師でもあるかのように、エッセーや図鑑の文章に引き込まれて行きます。
    尾瀬と言えば、ミズバショウやニッコウキスゲの印象しか持っていなかった私は、そのカードの中の風情に感動しました。
    日本人だから感じられる風情なのでしょうか。是非この季節に尾瀬を訪れ、少しでもその風情を感じられたら、嬉しいと思います。 カードのタイトルがとても印象的だったので、その言葉を讃えるつもりでした。
    尾瀬惜秋という言葉が私が発した言葉のような誤解を招いてしまったとしたら、先生に大変申し訳なくお詫びを致します。

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