もののふの/八十おとめらが/くみまがふ/ 寺井の上の/
かたかごの花/大伴家持 万葉集のこの歌にかたかごの名で登場して以来、このカタクリの花は古典文学に歌われたことがなかったのだろうか。他に「かたかご」の名がでてくる古典には、出会ったことがない。
平安期以降、常に文学の中心にいた貴族や武士の関心はもっぱら桜、それも心象風景のなかに咲く抽象化された桜の花であった。もともと北国の植物で、関西には自生地がそれほど多くないこともあるだろうが、宮廷や御所の奥深くで思い悩む彼らの生活には、カタクリの咲くひなびた山里など無縁だったのかも知れない。
この時代、こうまで桜がもてはやされたのは、春ひとときに花開いたかと思うと、惜し気もなく、すぐさま散ってゆく潔さが、殿上人の感傷に符合したからなのだろうが、潔さという点では、このカタクリも決して桜に劣りはしない。花を咲かせたかと思うと1ヵ月ほどで葉も茎もひとつ残さず地上から消えうせてしまう。そして、そのあとは次の雪解けまで、長い長い休眠生活なのである。
もっとも、これは、春の間だけ日光と水分が行き届く多雪地の落葉樹林下という環境に適応した、のっぴきならない生活術なのであるが、春のほんのひとときに生命の輝きを放つ美しさには、いにしえの歌人も息を飲んだにちがいない。(1991年4月号)
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