日本一周笛吹行脚

IMG-0004旅をしながら生活をすることは可能か?

20歳のころ、痛烈に旅に憧れた時期がある。

梢を湿った風がざわざわと揺らすのを聞いて、いてもたってもいられなくなって自転車に飛び乗ったのは大学2年の夏休み前だった。
芭蕉のいう
「そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。」
という状況である。

その時はあくまで学生の夏休みの旅だった。大学を休学して、「日本一周笛吹行脚」という旗を掲げたのはそれから1年後のことだ。

リコーダーをやっていたから街頭で吹いてみたというより、バスキング(街頭で演奏すること)をするために、リコーダーをやり始めた。それまでのリコーダー経験は、ほぼ高校までの音楽の時間だけだった。

出発までの間、神戸や大阪の街でずいぶん「修行」もした。最初は確か、「シーベクシーモア」や「Rights of Man」などの、聴きおぼえたアイリッシュを吹いていたと思うが、もう少しサプライズのある曲をと、テレマンやヘンデル、ヴィヴァルディのソナタを、フランス・ブリュッヘンのレコードから耳コピして吹いていた。

出発の時、日記の冒頭には、「奥の細道」の序文全文を書いた。
「舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。」

「旅を住処」とする生き方の実験。
それが自分にとっての「笛吹行脚」だった。

8月から出発して、12月31日の夜行便で、青森から函館に渡った。1月27日に宗谷岬に到着して、そこの宿に自転車を預けて、大学に退学届けを出しに戻った。

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いつでも大学に戻ることのできる「休学」のままでは、いつまでも自分の「実験」の結果は出ないと思えたからというのが理由だ。

そもそも入学時点で卒業するつもりはなかった。在学中にミュージシャンとしてデビューするのが目標だった。ただ、大学で手掛け始めていた音楽学には、少し未練があった。しかし、自分の生き方の柱を見つける方が、まずは先決だと思った。

収入は、学生のバイトとしてはけっこうなものだった。場所にもよるが、1日1万円程度にはなっていた。一番稼いだ日は、仙台の七夕祭りの日に、一日6万円という日がある。

ただし、冬や悪天の日は仕事にならないし、場所によっては少しも稼げないこともあった。

それに、実は稼いでくれているのは音楽ではなく、自転車だという負い目も大きかった。

音楽に聴き惚れて投げ銭をくれるというより、薄汚れた4バッグのついたキャンピング仕様の自転車が人目を引き、「日本一周笛吹行脚」の旗を見て、
「わあ、たいへんね、がんばって」
と投げ銭をくれる。

2回目の冬を迎える頃、しばらく定住してみることにした。一番の目的は、自分の音楽を価値あるものにすることだった。それには、先生に習うのも必要だろう。

少し実力をアップしてまた旅に出ようと思っていた矢先、旅仲間の紹介で、私より一回り年上の、旅の先輩ともいうべき人が現れた。

20代前半、同僚の突然死をきっかけに、まず日本を自転車で走り、その後ヨーロッパに渡り、フランスで絵を描いていたこともある。そして、再び乳母車をひいた徒歩で日本を歩いているという人だった。北海道の道東の湖畔で野外越冬生活の経験もあるという。

彼の野外生活技術は見事だった。4リットルのオイル缶に、小さなフライパンの大きさに合わせて穴があけてある。小枝を燃やすだけで、このフライパンでチャパティのような料理ができる。同時に、もう一つの穴には、250mlのコーラのカンが入るようになっていて、わずかな水でゆで卵が二つできる。

彼はしばらく私のアパートに滞在してくれたので、当時懇意にしていた、彫刻家夫妻に引き会わせた。またたくまに、彼らも仲良くなり、蜜月の時を過ごしたかのようだったが、その矢先、突然彼はもうここにはいられないと言いだし、また次の旅に出てしまった。

気まずいことがあったわけではない。むしろ、気持ちが通じすぎて、壊れそうになっているという表現がぴったりくる感じがした。

「鳥は
考えていたほど
自由ではなく

飛ぶことさえ
季節や
風の方向に
左右される
のでした」

空を飛ぶことに憧れた少年が、変人呼ばわりされながら旅を続け、同じような願いをもつ人達に出会う。どうしたら鳥のようになれるか、鳥をじっくり観察する。そしていつか、空を飛ぼうと願うことは鳥になることとは別のことだと少年は気がつく。

樹村みのりのコミック作品「翼のない鳥」
の一シーンだが、この時の私もまさにそのことに気がついた。

私の笛吹行脚が終わりを迎えたのは、この時だったような気がする。

3件のコメント

  1. sizuku より:

    若き日々の想いって、やっぱり原点なんですね。
    素晴らしい青春時代を夢を枕の旅と共に送られて、そして未来の道を自分で選択してこられたんですね。
    その情熱をずっと燃やし続けて今も旅を続けていらっしゃる先生は永遠の青年のようですもの。
    また、人生の選択で、一時期を違う道程を歩んだとしても、いつかはその原点に還って行くのだと思います。歳を経て、最近、そんなふうに思っています。

  2. いがりまさし より:

    気がついたらこの頃と似たりよったりのことをしています。
    心は今の方が自由ですが、身体は当時の方が自由でした(^^;;

  3. 中島律子 より:

    芭蕉とは違う自分スタイルの生き方を探そうと気づいたのですね。一旦、徹底して行き着くとこまで行き着かないと気づけない事ってありますよね。突き抜けた自分スタイルに行き着けて良かったですね。・・・私は、旅をもって仕事にはできないと思うけど、さすらってみたいと思います。今は、まだ、しょってるものがあって無理だけれど・・。紹介される旅のような日々の写真を、楽しみに眺めさせてもらっています。私は、鳥に憧れる猫のようなものかな・・・。

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